ヨシブログ

本を読んだ感想を書いています。

【書評】具体と抽象

こんにちは。ヨシです。

 

PDCATODOを時間単位でスケジュールに組み込んで消化するようにしているんですが、改めて1日短さに驚きます。休みの日にYoutubeNetflixを見てるうちに1日が終わってしまった、、、と後悔したことがある人は朝起きて活動し始める前に1日のスケジュールを立ててようにしてみると格段に時間を無駄にすることが減ると思います。所感としては、最初スケジュールを立てるために机に座るのが一番エネルギーを使うので習慣化するまでしっかり意識づけして続けていきたいと思います。

 

今回読んだ本は細谷功さんの「具体と抽象」です。

 

目次

 

この本を選んだ理由

この本を知ったきっかけは前田裕二さんの「メモの魔力」でこの本のことが取り上げられていたからです。また、その頃ちょうど会社の上司からもっと具体的に考えろ、とよく言われていて具体的にと言われても、どう考えたらいいのかわからない、と悩んでいた時期でした。「メモの魔力」でも抽象、具体という言葉が何度も出てきていて、たぶんこういうことなんだろうと思っているけど本当にあっているのか?という疑問がどんどんと湧いてきたのでこの本を読んだら、その悩みを解決するためのきっかけが得られるのではないかと思いこの本を手に取りました。

 

どんな本か?

「もっと具体的に話せ」とか「あの人の話は抽象的すぎてよくらからない」とかこんなこと言われたことや聞いたことありませんか?相手が「あえて」抽象的に言ってるんだけど自分が具体的にしか物事を捉えられていないことが原因かもしれません。

普段意識することが少ない自分の身の回りを取り巻くあらゆる物事に対して、具体と抽象をベースに解説してくれている本です。本のボリューム的には100ページくらいと少なめですが、その中に詰まっている情報量は圧倒的です。こんなこと考えたことがなかった、こういう風に考えるのって面白いな、という気づきがめちゃくちゃ詰まっている本です。

内容が抽象的な部分も多いですが、可愛いキャラクターと共に図解もされており、取りつきやすい本となっています。本当に高校生や大学生のときに出会っておきたかったと思うくらいの良書だと思っています。 

 

感想と思考 

物事の捉え方の違い

具体レベルで物事を考えられる人と抽象レベルで物事を考えられる人では、物事の捉え方がかなり違います。具体レベルで物事を考えるということは「個々・バラバラ」であらゆる物事が特別なものに見えます。対する抽象レベルで物事を考えるということは「構造・関係性」を扱います。基本的には物事を「単品」か「関係性」で考えるかによって具体か抽象かを区別するような感じでしょうか。

今、自分が置かれている状況を特別として考えるのではなく、一歩下がってメタの視点で自分を客観的に見ることが非常に大事だと思いました。何も意識しないまま、物事を捉えてしまうとおそらく大体の人は具体のレベルで物事を考えてしまうため、抽象レベルで考えられる人に比べて、視野が極端に狭くなったり、思考の妨げになってしまいます。僕自身も他の人の話を聞くと、こうすれば良いじゃないか?こういう考え方があるんじゃないか?と意見が出てきたりするんですが、自分ごととなると具体レベルで物事を考えてしまっていて、視野がかなり狭くなっているな、と気づくことができました。自分が陥っている状況に気づけたことは大きな発見だと思っています。

この具体と抽象についての考え方は、具体が悪い、抽象が悪いということを言っているのではなく、考える場面によって具体レベルで考えるのか、抽象レベルで考えるのかを切り替える必要があって、一辺倒ではいけないと言うことです。本書では製品や組織で例えられていて、「不連続な変革期 」においては抽象度の高いレベルの議論が必要で、「連続的な安定期」には具体性の高い議論が必要になると書かれています。組織の黎明期には各担当者が様々な活動をしなければいけないので、ビジョンなどを考えたり、内容を理解したりする能力が必要になります。しかし、組織が安定期に入ると、人が増えてくると組織全員の作業レベルを一定に保つ、もしくは底上げすることが求められるようになります。そのため、誰が見ても作業レベルが一定になる具体的な作業手順(マニュアル)の共有などが重要視されてくるということです。前者はスタートアップの立ち上げメンバー、後者は大企業などの社員にはこれが当てはまるんじゃないかと思います。

また、この具体レベルと抽象レベルの話でいうと、最近キングコング西野さんの近畿大学卒業式のスピーチが炎上していますが、これこそ抽象化して発信している情報を具体レベルでしか考えられない人が理解できずに噛み付いている構図だと、と思いました。西野さんは努力が報われるまでに期間があるけど、いつか報われる時が来るということを抽象的な例えとして「時計の長針と短針」で話をされていますが、Twitterなどで人生と時計が違うという意見が出ているのを見て、抽象レベルで物事を考えられていないとこういうことになるんだな、と思いました。

 

短絡的と単純化は別物

抽象の世界で物事の本質を抜き出す「単純化」は短絡的思考とは全くの別物です。具体レベルで考える人がよく陥りがちだということで特に自分も気をつけなければいけないなと、思っています。物事を何個か見て、こういうことだ、と考えるのではなく、一定数のサンプルをしっかり観察して、対象が複雑なものをいかにシンプルにするのか、を考えるのが「単純化」です。自分の戒めのためにも繰り返しますが、短絡的思考は具体の世界で1つのサンプルを見て「〇〇には□□」と結論を簡単に出してしまうことで、そのことになんの価値もないということを理解しておかないといけません。

「単純化」とは「要するになんなのか?」を突き詰めて考えた結果です。「要するになんなのか?」を考えるということは具体の世界で得た膨大な情報を目にして、常にそれらの個別情報から「構造」を抽出して、なんらかの「メッセージ」を読み取ろうとする姿勢のことだと書かれていて、自分もこの姿勢が持てていない部分だな、と思いました。ぼくは興味のないことをスルーする癖が結構あるので、これは具体の世界で情報を目にしても無視しているということで、メッセージを読み取ろうとする姿勢が全然足りていないということで、これからは「要するになんなのか?」を自分の中で問いかけて言語化するようにしていきたいと思います。

 

人の認知バイアス

人は自分が特別だと思い込み、他人のことについては一般化することがよくあります。これも具体レベルで物事を考える人に多い傾向にあるそうです。これについても前述した他の人の話を聞くと意見が出てくるが自分のことになると意見が出てこなくなる、というのが、ぼくも無意識ではありましたが、当てはまっているなと思いました。

人は他人への一般化を平気でやるのに、自分が関連しているものを他人に一般化されることは理解できないし、好まない傾向にあるということですね。その業界の人でもないのに、業界用語を使ったり、カタカナ語を使うのは使う方は良いけど、使われる側のことは考えていないというのが良い例だと思います。また、人は他人の成功例や失敗例を見ても「あれは自分とは違う」と考えがちです。自分が今おかれている状況はこういうことがあって、他のケースとは違うんだ、と考えてしまう人が多いということです。しかし、ここで大事なのは他人の成功なり失敗なりが本質的に何に起因しているのかを抽象的に考えて、特性を掘り当てることです。物事から得られるメッセージを逃げずに考えることを意識してやっていきたいと思います。 

 

まとめ

普段何気なく使っている言葉や、数字も抽象化の産物であり、今まで生きてきた先人たちの知の結晶なんだなと思いました。そして、そのことについて何事も疑問を持たずにいた自分は具体レベルでしか物事を捉えられない側の人間だと認識することができました。この本に出会えたことによって、抽象レベルでも物事を捉えられるように日々物事を考えていきたいと思います。

少ないページ数に超濃密な情報が詰め込まれていて、正直理解が追いついていない部分も多々あるので繰り返し読んでいきたいと思います。また、細谷功さんの本も色々読んでみたいと思いました。とりあえず「無理の構造」、「自己矛盾劇場」をポチりました。

  

それでは。